影の湖

集中講義陸水生態学課題
テーマ「自分と自然との関わりについて」時間:40分


淡水魚の勉強をしようと山形に来て4年目になる。念願だった川ガキへの道もなんとか踏み出すことができ、楽しい日々を送っている。
昔から魚が大好きだった。釣りをする父親の影響が強かったのだろう。図鑑とにらめっこをしていた小学生の頃から、川魚、特にサケ科の魚に惹かれるようになった。
中学校一年生のときだったように思う。親戚の経営するニセコのペンションに泊まりに行った僕は、弟たちを連れて近くの小川へ釣りに出かけた。川幅が1メートルにも満たない小さな川に、振り出し竿の先だけを外して出し、釣り糸を垂らした。と、餌にしていたイクラに向けて、黒い影が近づいてくるのが見えた。慌てる間もなく体は動き、次の瞬間、僕の手の中では20センチ程の大きさのオショロコマが暴れていた。細長い体と薄い桃色の斑点。生き物に対し、純粋に美しいと感じたのはあれが初めてだったように思う。
以来僕は、生き物とそれらの棲まうこの世界をとても美しいものだと感じるようになった。それは雨の後のコンクリートの匂いだったり、夏山に重く立ち込める空気だったり、数え切れない程の星だったりした。この世界の中で僕はあまりに無知で、だからこそ美しいと感じるものが多いということを知った。カーソンのセンス・オブ・ワンダーに出会った頃には、僕の中に生き物や環境を学ぼうという決意が芽生え始めていた。


どれだけ本を読もうとも、何度自然の中に身を置こうとも、僕は世界のどれだけを学んだか見当もつかない。ヒトがいて、生き物がいて、そしてそれらが生きる環境がある。生態学というものを学ぶということは、どれだけの知識を詰め込んだかではなく、常に疑問を抱き、飽くなき探究心で物事に対し「なぜ?」と問い続けることなのかも知れない。
そう思うようになったのは去年の夏、まだ世界遺産に登録される前の知床でのことだった。
道東は屈斜路湖でキャンプをしていた僕は、明け方にふと目を覚ました。テントから出た僕の目には、朝日を受けて桃色に光る湖面が映った。風はなく、水面はまるで鏡のようだった。本当に鏡のようだったのだ。
僕は迷わず服を脱ぎ、水中メガネをつけて湖へと入った。静かな湖面が僕のためだけに波紋をつくっていた。湖底では3,4匹のマスが僕のすぐ目の前を横切っていった。弱酸性で透明度の高いこの湖では、何メートルも先まで続く白い砂地を見渡すことができたのだ。
体を反転させ、水底を蹴って上を見ると、微かに揺れる水面の向こうにうっすらと広がる空が見えた。少し雲のかかった澄んだ空だった。聴覚も嗅覚も失われた水の中の世界へと、僕は息が続く限り。体が冷たくなるまで何度も何度も潜り続けた。
あの静かな世界は生涯忘れられないと思う。あれから一年が経つけれど、指先をすり抜ける柔らかな水の感触や、刻一刻と変わってゆく夕暮れの湖面の色は今でもはっきりと頭に浮かべることができる。


僕は湖の中で、ただ静かにひとつの透明な感覚に身を浸していた。


美しい。それが僕の感じた全てだった。僕はあの湖を始まりにして、今まで生きてきた、そしてこれから生きてゆく自然に対し、常にこの感覚を抱き続けてゆこうと思う。